原発建造 止めた ~元高校教諭、経験を本に~
☆ 2020年5月7日 東京新聞 夕刊
かつて三重県の熊野灘沿岸で計画され、住民の賛否で揺れた「芦浜原子力発電所」。建設が撤回されて今年で20周年を迎えたのにあわせて、元高校教諭の柴原洋一さん(66)=同県伊勢市=が、反対運動の軌跡と自身の経験を書籍『原発の断りかた ぼくの芦浜闘争記』 (月兎舎)にまとめた。刊行を記念したトークイベントが3月、同県大紀町であった。
熊野灘沿岸で中部電力による立地計画が持ち上がったのは1963年。候補地となったのが紀勢町(現大紀町)と南島町(現南伊勢町)にまたがる芦浜だった。地元漁協は東京大の研究者から聞いた話を参考に、独自に反対の決議文をまとめる。66年には漁師らが国会議員による視察団を実力で阻止。「第一回戦」は終わった。
柴原さんが活動に携わるようになったのは、南島町に隣接する南勢町(現南伊勢町)で高校教員を務めていた83年。翌年には県が原発予算を計上、「第二回戦」が始まる。賛成派と反対派に分断されていく地域社会に、胸を痛めた。95年、反対署名運動に加わり、翌年、県内有権者の半数を超える81万筆を携えて県に提出。4年後、北川正恭知事(当時)は白紙撤回を表明。37年に及んだ闘争は「原発を造らせなかった」画期的な事例となった。
なぜ勝ったのか。「南島の人たちは学者とも正面から議論し、言論で戦った。そして体を張ることも躊躇せず、最後は政治を動かした。守ろうとしたのは子どもや家族といった人、そして暮らしを支える海だった」と柴原さん「後年、反対運動に関わった漁師はこう答えたという。「命かけたでさ」
だが今、じくじたる思いが募る。2011年3月に発生した、東日本大震災による福島第一原発の事故。 「せっかく芦浜が守られたのに、悔しくて仕方ない。芦浜は南島の人たちが止めてくれた。今度は僕らの番。僕らが、日本の原発を止めなくてはいけない」と力を込めた。
著書は月兎舎の季刊誌『NAGI』で、15~18年にかけて連載された「芦浜闘争私記」に加筆した。「南島の闘いには普遍性があった。原発以外にも、国策の理不尽と闘う人たちにこの闘いを知ってほしい」と語る。1650円。
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